人的資本開示の実践事例:CHROの戦略とは?

目次

人的資本開示に向けて人材の価値を最大限に引き出すCHRO

 先にご紹介してきました人材戦略について、ここでは運用の方法について考えていきます。
この人材戦略は、人の管理や単なるマネージメントではなく、企業の価値創造に向けた経営戦略に含まれるものであることから、その運用については人事部ではなく経営マターとなります。そこで、経営陣や取締役会の役割が重要になってきます。それだけではなく、価値創造に向けた経営戦略であることから、さらには投資家との対話も必要となってきます。そこでこの人材戦略について、経営陣と取締役会と投資家の役割について見ていくことにしましょう。下の図をご覧下さい。

出典: 持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書 (経済産業省)


まず経営陣は、
① 企業理念や企業の存在意義や経営戦略の明確化が求められます。その上で

② 経営戦略と連動した人材戦略の策定や実行を行っていきます。その際に、
  1) 人材戦略について、定量的なKPIを設定することで、経営戦略と連動させたり、
  2) 現状と理想とする将来像とのギャップ(As is と To be の間のギャップ)を定量的に把握したり、
  3) さらにはその人材戦略の実行を通じて、企業文化へ定着させること
 などが経営陣に求められます。

③続いて経営陣にCHRO、最高人財責任者である人事担当役員を設置して、他のCEOをはじめとする経営陣と緊密な連携をとって、経営戦略と連動させていくことが必要となります。

④そして経営陣は、経営戦略と紐づいている人材戦略についても、投資家へ向けて積極的に発信や対話をしていかなければなりません。

次に取締役会の役割としては、
① 人材戦略に関して、取締役会の役割をあらかじめ明確化しておく必要があります。

② その内容は、大まかに人材戦略に関する監督やモニタリングであり、具体的には
  1) 経営戦略に不可欠な人材パイプラインの監督やモニタリングですとか、
  2) 人材戦略の承認、実行、監督、モニタリングですとか
  3) 人材戦略の実行の中で醸成される企業文化の監督やモニタリング
 などが挙げられます。

そして、ここでは参考までに投資家に求められる役割としては、
① 人材戦略について、中長期的視点からの建設的な対話が求められるようになり、また

② 企業価値向上につながる人材戦略の見える化を踏まえた対話や投資先の選定が
 必要になって来るでしょう。この時の視点としては、

  1) 企業理念や存在意義の社員への浸透や、
  2) 人材戦略と経営戦略や新たなビジネスモデルとの整合性や、
  3) 何より人材戦略を通じた企業価値の創造

 などが挙げられるでしょう。
 投資家のこのような視点を把握しておくことも、
 経営陣には人材戦略を実行するにあたって考慮しておくべき事項となります。

それでは、これらの相互の関係性と、そこから生まれるべき企業価値向上との関係について、次にご紹介してまいります。

出典: 持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書 (経済産業省)


 上の図は、人材戦略を遂行するにあたって、ステークスホルダーそれぞれの役割とその関係性について整理したものです。

 取締役会においては、経営戦略の遂行という観点から、経営戦略と連動した人材戦略が重要であるとの認識に立つことで、人材に関する活発な議論を行い、自社の人材戦略の方向性が経営戦略の方向性と連動しているのかについて、経営陣に対して監督やモニタリングを行い、適切な方向に導くことが求められます。

 その取締役会からの監督を受ける経営陣は、企業理念や企業の存在意義や経営戦略を明確化した上で、経営戦略と連動した人材戦略を策定や実行をしていかなければなりません。その実行に当たっては、CHROが重要な役割を担い、経営陣は、取締役会への報告を行わなければなりません。同時に投資家や従業員に対しても、人材戦略について積極的に発信して対話を続けることが求められます。

 そういった中で、従業員は企業の人材戦略を十分に理解した上で、自身の自律的なキャリアの選択を行い、成長を図り続けることが求められます。そのことが、経営陣からの発信と対話によって、従業員個人と会社とが相互に選び合い成長を共にする関係構築を目指していくことが重要になるでしょう。

 一方の投資家は、中長期的な企業価値の向上につながる人材戦略について、企業から発信される見える化された情報を踏まえて対話を行い、投資先の選定を行うことになるでしょう。

 このようにして、人材戦略におけるそれぞれのステークスホルダーの役割と相互の関係性によって、将来に向けた持続的な企業価値向上を実現していく必要があります。

それでは、人材戦略の遂行にあたって重要な役割を果たすCHRO(最高人財責任者)の現状について、ご紹介いたします。

CHRO導入企業による人的資本開示

出典: 持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書 (経済産業省)


 こちらに示しているのは、CHRO(最高人事責任者)を設置している企業の割合です。CHROは、経営陣の一員として、経営戦略に連動した人材戦略の方針や計画を策定して、ビジョン達成に向けて経営を担っていく役員ですが、外資系企業ではCHROの設置が4割に迫るのに対して、日本企業ではその半分にも満たない状況にあります。

このCHRO設置の役割は、
・経営戦略と人材戦略の連動に関する責任者を明確にすることであり
・人材戦略に関して、経営陣と議論を主導することによって、2つの戦略の連動を強化して、
・さらに、社員や投資家との対話で得られた示唆を、人材戦略に反映させていく役割があります。

そこでCHROの設置に当たっては、
・従来の人事部門長との役割や責任の違いを明確に定義して、経営陣や取締役会と合意する必要があります。

またCHROの役割は、
・経営戦略の実現に向けた人的資本を常に把握して、経営陣に解決策を提示して実行することや、
・人材戦略の実行上の課題や具体的な施策について、経営陣や取締役会に定期的に提示して議論を主導することや、
・人材戦略に盛り込まれるKPIの達成について、その責任を持つことになります。
・このような過程の中で、投資家や社員などのステークスホルダーに対して、発信と対話を行っていき、
・さらには、企業文化への定着に向けた醸成に取り組んでいく必要があります。

そしてCHROの選出にあたっては、
・人事以外の経営や財務、競合との状況や、自社の製品やサービスなどに関する特徴の理解があり、
・事業戦略そのものや、その実行に際して直面する課題について、深い理解を持つ必要があり、
・そのために、このような観点からCHRO設置に向けては、人材の育成を継続的に行っていく必要があります。

それでは、実際に具体的な好事例を次に見ていくことにしましょう。

出典: Human Capital Report 2023 (エーザイ株式会社)


 こちらに示したのは、エーザイ株式会社の年次報告書であるHuman Capital Reportです。企業理念は、「患者様と日常と医療の領域で支える生活者のベネフィットとヘルスケアの多様なニーズを充足する」と捉えているということです。この中で「人々の全生涯を支える企業へと変化すること」を目指すとしており、株主をはじめとするステークスホルダーとこのビジョンを共有するために、株主総会において定款の人材に関する記載について、追加変更を行ったということです。その内容としては、事業戦略を支える統合人事戦略を策定したということです。その概要が左上の統合人事戦略として示されています。

 この統合人事戦略の意図は、かつては企業は事業成長すれば良いとされていたのに対して、現在では働き方の多様化や、社員の成長実現などの要素を総合的に達成しなければ、良い企業とは認められないと考えて策定したということです。その内容は、大きく4つに分類されて、事業・組織の観点から「企業価値向上」、社員の成長の観点から「自己実現」、社員の健康の観点から「well-being 経営」、働き方の観点から「働き方改革」を挙げています。

この統合人事戦略を実施した成果は、定量的に評価されて右側に示されています。
1つ目の事業・組織については、女性従業員の割合として国内本社と海外連結が記載されており、また女性管理職割合も同様に示されています。

2つ目の社員の成長については、人材開発・研修総費用として5億1千3百万円(513百万円)、一人当たり人材開発・研修費用として16万9千円(169,000円)と報告されています。

3つ目の社員の健康については、定期検診受診率、2次検査受診率、ストレスチェック実施率、総合健康リスク値が公表されています。

4つ目の働き方については、男性の育児休業の平均取得日数とその取得率、また男性の配偶者出産休暇の取得者数や、平均残業時間、年次有給休暇の平均取得日数の実績値が開示されています。

 そして、特徴的なのは左にある表で、「エーザイ従業員インパクト会計」とした会計結果が掲載されています。これは、企業が従業員に支払った給与がどれだけ社会にインパクトをもたらしたのかを示す会計手法で、給与総額を出発点として、従業員へのインパクトとして、①賃金の質と、②従業員の機会、労働者のコミュニティへのインパクトとして、③ダイバーシティと、④地域社会への貢献を加味して算出するというものです。
 これによって、社会的インパクトが給与総額のどのくらいの割合に相当するのか算出されて、トータルでのインパクトは269億円となり、これはEBITDA (減価償却前営業利益)のうち約44%を占め、売上収益の約11%、給与の約75%を占めると見積もられて、ここに報告されています。

 このようにしてエーザイ株式会社では、経営戦略を人材戦略へ落とし込み、従業員インパクト会計を用いた定量的な評価を行っているという点で、参考になる事例となるでしょう。

続いては、社員の活性化による新規事業の発案についての事例をご紹介致します。

出典: 丸井グループの人的資本経営 #2


 こちらには、人的資本経営の成果として分かりやす事例として、社員のモチベーションアップによる活性化の事例についてご紹介いたします。株式会社丸井グループです。ここでは社員自らが新しい組織を構成して、新規事業を立ち上げて、事業開始 5年後には取扱高500億円を計画するとするものです。

 これはカード事業によるもので、今までは 個人向けカードを取り扱っていたのに対して、事業者向けのオーナーカードを新たに事業化するというものです。発端は、協業パートナーとして関わり合いのある起業家の皆さんの声を具現化したということです。起業家の皆さんが抱えている課題として、起業当初の資金繰りや決済があります。この課題に対して、起業家のニーズとして捉えて、社員自らが手を挙げて集まり、期間限定の兼任のプロジェクトが結成されました。

 具体的な内容は、従来の個人の信用に基づく個人向けカードの上に、事業の信用として上積みすることによって、新たに事業用のオーナーカードを発行して、創業時の資金繰りを支援するというものです。
 この事業モデルにおける計画は、初年度の取扱高40億円から5年後には500億円を計画し、会員数は0.2万人から1.5万人、LTV(Life Time Value:顧客生涯価値)は、5年間で100億円から150億円を見込んでいるというものです。

 このようにして、人的資本経営は人を資源から資本として捉えて、人に投資をすることでリターンとして返ってくることを目的として実行することが望まれます。

総括:人的資本開示の実践事例:CHROの戦略とは?

  • 人的資本経営の定義:
    • 人の管理や単なるマネジメントではなく、企業の価値創造に向けた経営戦略に含まれる。
    • 人を資源から資本と見なし、投資することでリターンを得ることを目指す。
  • 経営陣と取締役会の重要性:
    • 人材戦略は経営陣や取締役会が主導するものであり、投資家との対話も必要。
  • 経営陣の具体的な役割:
    1. 企業理念や経営戦略を明確にする。
    2. 経営戦略に関連する人材戦略を策定・実行。
      • 定量的なKPIの設定。
      • 現状と理想とのギャップを把握。
      • 企業文化への定着を促進。
    3. CHRO(最高人財責任者)を設置し、経営陣と連携。
  • 取締役会の責任:
    1. 人材戦略に関する役割を明確にし、実行を監督。
      • 人材パイプラインの監督。
      • 人材戦略の承認・実行・モニタリング。
  • 投資家の視点:
    1. 中長期的視点から企業価値向上につながる人材戦略に対する対話を重視。
    2. 経営理念の浸透や人材戦略と経営戦略の整合性を評価。
  • ステークホルダーの相互関係:
    • 経営陣は取締役会からの監督を受けつつ、投資家や従業員に人材戦略を発信することが求められる。
    • 従業員は経営陣との対話を通じて、自身のキャリア選択を行い、互いに成長する関係構築が重要。
  • CHROの役割:
    • 経営戦略と人材戦略の連携を強化し、経営課題や具体的施策について定期的に情報を提供。
    • 投資家や社員との対話を行い、企業文化の醸成を図る。
  • 日本企業における課題:
    • 日本企業では人事部門を管理部門と見なす割合が高く、伝統的な雇用形態が影響している。
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